カルロス・ゴーン氏の金融商品取引法容疑での弁護人
日産リバイバルプランの立役者であり、日産自動車、ルノー、三菱自動車を率いたカルロス・ゴーン氏は金融商品取引法違反容疑となった。
このニュースは一夜にして日本はもちろんのこと世界中を騒がせた。
わたしが注目した部分は、カルロス・ゴーン氏の弁護をおこなう弁護人は奇しくもライブドア事件や村上ファンド事件での捜査を指揮した元東京地検特捜部長の大鶴基成氏という点である。
事件の全貌を把握している訳ではないが、この事実を知った際にこの世の中は良くも悪くも資本主義であることを強く感じ、以前税務調査があった際のできごとを思い出した。
※税務調査の話は特定を防ぐため一部フィクションを含んでおります。
税務調査
企業の経理担当にとって、税務調査は数年に一度ある一大イベントであり、特に法人税の調査では、長い時間をかけて調査がおこなわれる。
調査結果で国税局と企業の主張が折り合わなければ、双方の意見を主張し合い長期戦となる。
最終的にお互いの主張が平行線のままであれば裁判という形で決着を向える。
企業によりやり方は異なるが、以前わたしが勤めていた会社でも現在の会社でも、調査の際は税理士法人の力を借りている。
調査が一通り終わり、調査結果を伝える総括の場面では、税理士法人の方々に全面的にサポートをしてもらい、国税局と税理士法人という税のプロフェッショナル同士の税法の解釈という高度なショーが繰り広げられる。
国税局の面々
一般的に年配者に多いイメージだが国税局の方々の態度は横柄であり、重箱の隅をつつくような指摘をしてくる印象があった。
今回も“どうしたらこんな性格が歪んでしまうんだろう”というような担当者だったら精神的にやられてしまうと思いながら対応に臨んだが、いい意味で期待が裏切られる。
国税局での大改革があったのかは知らないが、担当者は皆、非常に謙虚であり、企業への配慮が節々に感じられる紳士な方々だった。
その中でも必要な指摘事項は確実に調べ質問を受けた。
わたしの上司も「今まで受けた税務調査で一番対応がよい」という感想。
今回の調査は今までのような精神的にダメージを受ける調査ではなかった。
総括にて元国税局の出現
予定していた期日で税務調査は終わり、最後の総括の日。
総括前まで税務調査で受けた質問への対策を税理士法人に依頼していたが、我々の期待値を下回る回答が多く、上司は少し苛立っていた。
ただし、税理士法人から「総括の日には元国税局の人間を同席させて対応させていただきます」という連絡に上司の苛立ちは和らいだ。
総括の1時間前に税理士法人の面々と指摘事項に対しての対策の打ち合わせをおこなう。
そこで、噂の元国税局の方と初対面。
元国税局の方から発言される言葉は力強かった。
相手の内部事情を知り尽くしているからこそできる対策、ポイントなど非常に説得力があり、言葉の節々から溢れる自信を感じた。
非常に強力なサポートの元、いよいよ総括となる。
開始1秒でマウントを取った総括
総括がスタート。
まずは税理士法人の面々が国税局の方々と名刺交換をするが、早々に衝撃が走る。
元国税局の方が今回の税務調査をおこなう国税局のリーダーの方と名刺交換をした際に
「あれ?○○さん前役職なかったよね?出世した?」
元国税局の方からタメ語で先制パンチが入った。
その瞬間、今までの国税局の方が放っていた温和な雰囲気が一気に変わる。
急に緊張した様子になり、
「あっ、はい。○○年から役職が上がりました」
蛇に睨まれたカエル状態である。
簡単に状況を説明すると、今回の国税局のリーダーがペーペーの時代に同じ局で圧倒的に高いポジションにいたのが、現在対面している元国税局の方である。
つまり、百戦錬磨の猛者に一兵卒が戦いを挑まなければならない状況になってしまった。
まさか草野球の試合の助っ人に大リーガーが現れるとは、予想だにせず、こうなってしまうと終始総括は元国税局のペースに飲まれ、悲惨な状況であった。
今まで出会ってきた、重箱の隅をつつくような国税局の面々が相手であれば、わたしも非常にスカッとする気持ちになれるのだが、今回の方々が非常に対応のよい方々ばかりだったので、胸が痛くなった。
資本主義の犬
国税局VS元国税局の戦いを目の前にして、冒頭で述べた資本主義を強く感じた。
きっと元国税局の方も国税局の職員として働いていた時代は、税金を正しく企業から徴収し不正をおこなう企業を律するという大義名分の名のもとで、調査をおこなっていたと思う。
理由は分からないが、そこから税理士法人という言ってしまえば企業の方を持つ組織で働くというのは反逆行為と捉えることもできるのではないだろうか。
元国税局の方は税理士法人にて上位の役職であることを考えると、給料は国税の職員であった時に比べると、少なく見積もっても倍以上はもらっていると想定できる。
もし、給料というニンジンをぶら下げられて食いついてしまったら、それはまさに”資本主義の犬”である。
カッコイイことをしていたと思ったら、なんて残念な人だとわたしはそれを否定するつもりはない。
世の中とはそういうものであるということだけだから。
ただちょっと心にモヤモヤが残るのはわたしが大人になれていないということかもしれない。
最後に
カルロス・ゴーン氏の弁護をする大鶴基成氏もどういう判断で弁護人になったかは分からないが、心にモヤモヤを感じる人はわたしだけではないはず。
今まで正義の名のもとに悪を成敗すると言っていた人でも立場や状況が変わると、悪と思っていたものが、正義になり、正義だったものは悪になる。
もしかするときれいな正義と悪ではなく、複雑に絡み合ったグレーなものなのかもしれない。
しかし、どんなインセンティブがはたらいたかは、本人のみが知るものである。
たとえ反旗を翻す(ひるがえす)ものであっても、職業選択の自由は憲法で認められており、違法ではない。
繰り返しにはなるが、世の中はそういうものであるということだけだ。
そんなわたしも外資系企業で働くということは、日本市場で日系企業との戦いでシェアを奪うことであり、国賊の一人であるという捉え方もできる。
他人に対しては心のモヤモヤを感じ、自分には普段何も感じずに生きている。
人とは実に身勝手なもので自分自信に甘いものだ。