兵庫県明石市長の辞職問題から見るメディアの見せ方
兵庫県明石市長は国道の拡張工事の件で担当職員に「建物に火をつけてこい」という問題発言の報道により、辞職となる。
わたしは、「またか。。。」と感じてしまった。
メディアというものは中立ではない。
メディアは見せたい絵を見せて、炎上(注目を集める)することで利益を上げることがメディアの仕事であり、成果である。
つまり、メディアが見せたい絵を見て、そのままその絵を信じてしまう人は、簡単にメディアの言いなりになってしまう。
もちろんわたしも例外ではない。
今回の明石市長の辞職の件で、メディアの被害者はもちろん明石市長であるが、メディアを信じた純粋な人たちも被害者であり、実は加害者でもある。
なぜなら、市長は群衆の声という名の世論に耳を傾けるからだ。
人は簡単に騙される
たとえば、今回の報道が以下のようにメディアによって報道されていたら、どのように流れは変わるだろうか?
明石市長は国道の拡張工事の件で、死亡者が出ている危険な道路での立ち退き交渉に対し、「俺が土下座をしてでも市民の安全のために立ち退いてもらう」と発言をするも明石市職員には響かず。
雇用が補償されている”公務員”という守られた組織の仕事感は7年の歳月を無駄にする。
上記の内容も真実を元に切り取った一つの絵の見せ方だ。
このメディアの報道を受けた純粋な人たちは、
「明石市の職員は、こんな熱い市長の想いに対して、なんて意識の低いお役所仕事をしているんだ。市長にもっと頑張ってもらって、もっと市を良くしてもらわないと!」
と感じるのではないだろうか?
結局、今回のニュースに限らずメディアというのは、どんな人も、国も、簡単に悪人に仕立て上げることができるし、善人に見せることもできてしまう。
その背景には、前述した炎上する目的であったり、実は裏で既得権益を守るため、はたまた真実を知られないためにストーリーを描いたものもある。
要は、都合の良い発信ができるのだ。
変わらない流れと、変わりつつある流れ
限られたメディアからしか情報を取っていない人、表面的な情報をそのまま解釈する人は、今後も間違いなく一定数はいるだろう。
そういった意味で、これからも今回のような同様のケースや被害者は確実に発生するという変わらない流れがある。
一方で、インターネットのおかげで、さまざまな場所から情報を得ることができる。
これは、日本語だけの情報に関わらず、英語の情報もそうだ。
また、SNSの恩恵も大きい。
メディアからの情報だけでなく、個人の意見も簡単に閲覧することができる。
つまり、一つの物事に対して、容易に多面的な情報の取得ができるようになった。
これは現代だからできるようになったことである。
多面的に情報が手に入ると、物事を二次元から三次元で立体的に見える。
三次元で見ることができると、物事の真実がよりクリアに確認できてしまう。
これが、現代の変わりつつある流れだ。
ただ、注意していただきたい。
わたしは、インターネットやSNSにおける多面的な情報が取得できるメリットだけを伝えたが、これも情報のコントロールである。
実は、個人などさまざまなところから情報が取れるということは、デメリットも大きい。
どういうことかと言うと、今までは、大多数の人から見て”まとも”そうなメディアしか情報を多くの人に発信することができなかった。
しかし、現在は、どんな人間でも簡単に世界中に情報を発信できてしまうし、拡散されてしまうリスクもある。
たとえ、それがウソであっても、悪意があってもだ。
要は、リテラシーの低い人でも容易に情報を発信してしまい、簡単に世の中を誤解させてしまう。
さまざまな情報が錯綜すると、情報の取得者はどの情報が正しいのかを判断する力が求められる。
自分の頭で考える
今回の明石市長の辞職問題からメディアの見せ方について書いてみた。
どんな情報であっても、メディアは何らかの思惑があって発信しているという可能性がある。
さらに、現代は個人でも容易にウソの情報を拡散できてしまう。
そんな世の中で必要なことは、自分の頭で考えることだ。
非常にシンプルだが、意外と難しい。
何かの情報を得る際には、情報をそのまま飲み込まずに、いったんよく噛んでほしい。
もしかしたら、飲み込んではいけないものだったり、加熱が必要なものかもしれない。
自分の頭で考えることで、今までと同じものを食べていても、味の変化や違和感に気が付く舌が手に入る。
また、自分の頭で疑問に思ったことは、調べることも重要だ。
もしかすると、今まで当たり前と思っていたことが、真っ赤なウソであるかもしれない。