”御中”や”行き”と郵送する時、どちらが相手を敬っているのか問題に終止符を打ちたい
経理の仕事をしているとなんだかんだで郵便を送る機会が多い。
税務署や取引先などさまざまだ。
自身で郵送する際は、相手先企業の最後に”御中”もしくは、担当者であれば”様”を当たり前のように付ける。
いわゆるビジネスマナーというやつである。
ただ、やっかいなのは返信用封筒だ。
経理をやっていると残高確認依頼書というハガキがたくさん届く。
残高確認依頼書とは、○月○日の時点で自分の会社ではこれだけの金額を売っていることになっているけど、オタクの会社では同じ○月○日でいくら買っていることになっているか書いて返信してねというものだ。
そこで直面するのが、“御中”と“行き”問題である。
”御中”と”行き”問題とは
ある会社は返信用封筒に”○○会社 行き”と書かれている。
これは、「自分の会社なんて”行き”レベルッス」という自身をへりくだり、謙遜する時に使うマナーのようなものであることは世間に当たり前のように知られている。
ただし、この”行き”だった場合、返信をする側は「ちょっとちょっと、何で”行き”なんてへりくだっちゃってるんですか、ちゃんとリスペクトしてますよ!」という意味を込めて”行き”という文字に斜線をして”御中”という文字を書くという文化というかマナーがある。
一見お互いを敬いとても美しい流れだと感じるかもしれないが、効率化に拍車がかかっている現場からすると、正直”面倒くさい”以外のなにものでもない。
相手を敬うのはもちろんすばらしいことだし、ぜったいに忘れてはならない。
ただ、その行為をおこなうことで、相手にすごく面倒くさい行動をさせているというのを本当に理解しているのだろうか?
そして、その行動は本当の意味で相手を敬った行動なのだろうか?
時間に余裕があり、いくらでも時間を使える人はそれでいい。
ただし、1分1秒の効率化を図るビジネスパーソンにとって、こんな余計に時間をかけさせることは、敬うではなく、ただの嫌がらせとしか感じられなくなってしまうというのが本音ではないだろうか。
本当の意味で相手を敬うこととは
そんな中、一部の企業ではすでに上記の気持ちを悟った上で、返信用封筒の自社の宛名に”○○会社 御中”と書いてくれている会社がある。
こういった会社は本当の意味で分かっている会社だ。
自ら御中と書くその裏のストーリーが手に取るように見えてくる。
「もちろん、もちろんわたしどもは、自分に”御中”を付けていることがどれだけマナー違反かは分かっていますよ!ただ、ちょっと、ほんのちょっと聞いてください。自分をへりくだり、相手に面倒なことをさせるようなことって本当にお客様に喜んでもらえるんでしょうか?わたしどもはお客様に負担を強いるようなことをさせはしませんよ!」
そんな相手の気持ちをおもんぱかった最上級のやさしさと強いメッセージを感じないだろうか?
これを相手への敬いと言わずになんというか。
真の意味で相手の立場になって考えられた行動である。
相手の立場になって考えることこそが重要
日本は海外に比べると過剰サービス大国である。
お客様は神様という印籠の名のもとに、消費者はサービス提供者にたいして異常なまでの高いサービスを要求する。
この流れを読んでいただくと、すでに結論は見えていると思うが、わたしは”○○会社 行き”と書くことは本当のやさしさではないと感じている。
そうは言っても、人によっては「自ら御中にするなんて、まったく失礼だ」という考える人がいることも事実だ。
「こういうことをする人はマナーがなっていない」そう言われてしまうかもしれない。
ただ、そんなことを言う人には、一見失礼そうなこのメッセージの裏にどれだけの相手への配慮があるかをこっそりとあなたがその人へ伝えてほしい。
「あなたが大事にするマナーというのはとっても重要なことであるのは間違いない。ただし、このあえて”御中”と自ら書く行動はマナーをわかった上で、それでもおこなっている一つのやさしさであり、勇気なんだよ」と。
苦しめ合う敬いより、お互い幸せになるやさしさを増やしたい。
今日もそう思いながら、返信用封筒を作る時の宛名の最後を”御中”にしている。