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養成所での生活
プロフェッショナル養成所での生活が始まった。
入学の際は当時人気のある業界でもあり、受験倍率も高かったため、カメラや取材陣も来てたのを覚えている。
その際に報道陣からインタビューを受けることで、全く新たな世界に足を踏み入れたという緊張感と高揚感を抱いていた。
一方で、養成所の偉い方からわたしたち生徒と保護者へ向けた話があり、その際に「本当に厳しい世界です」という旨を声を震わせ、涙ながらに言っていた情景は、まだわたしの中に強く残っている。
養成所では、生活のすべてを寮とその養成所が持つ施設内で過ごす必要があった。
毎日分刻みでおこなわれるスケジュール、すべてが新しいことや慣れないことの連続で精神的にも肉体的にも相当疲れていたと思う。
しかし、プロになって成功したいという気持ちだけで日々を乗り越えていた。
同期の退学
入学から1、2か月も経たない内に、数名の同期が退学という選択をした。
退学の理由は日々の生活の厳しさに耐えられないということだった。
たしかに日々の生活は自由なんてものはなく、ただひたすらに厳しい環境だと思う。
しかし、プロになるのに厳しいことは当たり前。
そんな厳しさを乗り越えられないようであれば、プロになる資格なんてない。
わたしはもちろん気持ちの動揺はあったが、「そんなにすぐ諦めるなんて根性ないな」と冷静に考えていた。
とにもかくにもわたしはプロになることだけを考えて厳しい環境でも絶対に根を上げるものかと日々を過ごした。
初めての定期試験
養成所では、半年に一度、定期試験がある。
その試験で、自身が何番目に同期の中で優れているのかが分かる。
プロスポーツの世界は常に成果と隣り合わせなので、結果と向き合っていく必要があることを認識させられた。
そんな初めての定期試験でわたしはあろうことか最下位という順位だった。
元々、日々の練習から自身のレベルは把握していたが、結果としてまじまじと事実を突きつけられると悔しかった。
そうは言っても、わたしはある意味で最下位という結果を楽観していた部分もある。
なぜなら、わたし以外の同期は経験者として入学していたが、わたしだけが完全にまったく経験もない入学者だった。
そのため入学して半年で最下位でも、一生懸命頑張れば経験者にも卒業までに追いつけると考えていた。
また、実際にそういった人も多くいたという話を聞いていたからだ。
だが、現実はその考えとは裏腹に、わたしのスキルはわたしの思惑通りには伸びていかなかった。
そういう状況だと同期の中に私をバカにする人も出てくる。
「お前は才能がない」「練習で俺の邪魔をするな」など直接的に言われたり、練習とは関係のない場所でもわたしだけ”のけ者”にされることなどもあった。
しかし、わたしはそんなことでは負けないという気概を持っていた。
なぜならば、きっちりプロになり全員よりも有名になってやるという強い気持ちでやっていたからだ。
わたしは日々、一生懸命に努力を重ねた。
そんな中、また半年に一度の定期試験の時期になる。
二度目の定期試験
今回は、なんとしても最下位から脱出したい。
そして、自分をバカにしていた同期を見返したい。
そんな高ぶる気持ちで定期試験に望んだ。
ただ、普段の練習などから、わたしの中でなんとなく上位にはいけないと分かっている部分もあった。
それでも最下位は免れ多少順位が上がっていることを期待した。
試験も終わり結果については直接指導をしている方から連絡があるとのことだった。
そしてその結果を聞いた時、衝撃を受けた。。。
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