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「結論から申し上げるとあなたの実力では進級できません」
進級できない
指導者からの一言だった。
脳みそがグラつく感覚に襲われた。
まさかそんなことがあるんだ。。。
結果、進級できないのはわたし一人。
完全に落ちこぼれの烙印を押された。
わたしは、先の見えない真っ白な気分の状態が一時続いた。
周りにもすぐにウワサは広まり、相変わらずバカにする人、特に触れない人、さまざまだった。
何よりも辛かったのは、親にもその事実が伝えられることだ。
いろいろと期待していただろうと思うと、悲しさ、悔しさ、恥ずかしさが織り交ざった何とも言えない気分になった。
ただ、そうは言っても、いつまでも前に進めない状況ではしょうがないので、事実は事実として受け入れることにした。
そして、もう一度一生懸命努力しようと心を入れ替えて、再度、同じ学年をこれから入ってくる新人と一緒にスタートが始まる。
再スタート
新人との再スタートは何とも言えない気分ではあったが、問題もなく馴染むことができた。
また、この期からレベル別の練習という養成所の方針に変わり、自身のレベルによってA、B、Cと上手い順にレベル分けされ、より個々のレベルに沿った練習ができるようになった。
再度同じ学年でスタートということもあって、最初のレベル分けチェックでは、わたしは上位のAグループに振り分けられる。
二度目で下位のグループになるなんて有り得ない。
1年同期より練習している分、誰よりもアドバンテージがある、負けるはずがない。
その時はそんな気持ちで日々練習をおこなっていたと思う。
二度目のスタートは当たり前だが、上手くいき、一度目は指導者から常に厳しく怒られることばかりだったが、二度目は褒められることも増えた。
定期試験
そんな中、半期に一度の定期試験の時期がまたやってきた。
同期の中にも上手い人はたしかにいるけど、自分も負けちゃいない。
一度目とは違うんだ!という気持ちで試験に臨みなんとか無事に終えることができた。
しかし、この試験の結果がわたしの人生を大きく変えるターニングポイントとなったのである。
ズバリわたしはAからCグループへ転落させられることが決まった。
・・・絶望だった。
奈落の底へ落とされた気分だ。
毎日一生懸命努力したのに。
日々の辛さもプロになって活躍すれば、すべて報われると思っていた。
現実はなんでこんな状況になってしまうんだ。。。
混沌とした気持ちが錯綜する中、わたしはここである決断をした。
そう、自主退学だ。
退学
わたしの夢はプロになって活躍をすること。
それも日本だけでなく、世界で活躍することを考えていた。
そんな中、今の自分はどうか?
一生懸命練習したにも関わらず、一度留年を申告されるほど下手で、さらに留年してもCグループ行きが決まった。
こんな奴がプロの世界で活躍できるだろうか。
仮にギリギリプロになれたとしても活躍は無理だと思う。
なぜならば、こんなにセンスのない同期にも負ける人間が同期以外の競合と戦っても勝てるはずもなく、活躍できる訳がないと思ったからだ。
であるならば、早い内に諦めよう。
やることはやった。
こんなことを思っていたと思う。
そして親に泣きながら電話をした。
もう無理であること。
これ以上ここで努力できないこと。
その結論として養成所を辞めたいこと。
いろいろ言われたが、親はわたしの意見を聞き入れた。
次に、養成所に退学の旨を伝えた。
誰にどのように伝えたか覚えていないが、すべてが終わって身体の力が抜けた感覚があったのは覚えている。
翌日は練習には参加せず、翌々日には親が迎えに来て、各種手続きを終えて実家に戻った。
手続きの際に親が泣いていた。
わたしはすでに枯れていた。
こうして、希望を持って高校を退学し、夢を追って養成所に入ったが、夢やぶれて目の前が真っ暗な暗黒時代へ突入した。
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